祈りの集いなどに行くと、やはり修道生活への呼びかけを感じる時があり、シスターに勧められて黙想をしました。そして、再び修道生活に呼ばれていると確信し、選び取ったつもりでしたが、日々の生活の中で心はゆらいでいました。そのすぐ後に阪神淡路大震災が起き、私は「自分の職場の人をみんな助けて下さったら、修道院に行きます」と祈り、聞き入れられました。しかし、私の家も全壊し、職場の建物も使えなくなり、被災生活の中、今はやはり、修道院へはいけないと、また、行かないことに決めました。

神の思いと私の思いとの葛藤。長い年月が経ちました。最後は、震災から5年後の1月17日、震災時に神様が私の祈りを聞いてくださったことが思い出され、主の愛に負けて修道生活への道を歩みだしました。修道院に入る前、「私は、修道院で幸せでいられるのだろうか」と思っていたのですが、その道を歩み出すと、自分でも不思議に思う程、喜び、幸せをいっぱいに感じさせて頂きました。また、私が知らなかった奉献生活の深い意味も少しずつ教えていただきました。

『聖霊は決して人を強制しません。』本当にそうでした。いろいろな出来事、出会いを通して神のみ旨を示してくださいましたが、主は私の自発的な「はい」を待ち続けてくださいました。

 今は修道生活に入るまでの長い道のりを通して、神の導きに、神の忍耐強さにただただ感謝しています。

その後、修道生活への召命を確かに感じた時のことが、折りに触れ思い出され、私は神のみ旨を行っていないのかもしれないとの思いもありましたが、その思いに蓋をしていました。

Sr.マリ・カタリナ 倉知 恵美子

神のみ旨。それは、私の思いとは違っていました。

私が20歳の時、修道生活への召命を感じ、他の修道会でしたが3泊4日シスター方と生活させていただいて「行こう」と決心しました。でも、周りの反対があり、その理由に自分も納得し、修道院へは行きませんでした。修道院の外で神に使っていただこう「修道者ではなく、一信徒として、主に従っていきたい。」これが私の思いでした。

「神のみ旨は?」