間もなく終戦。そして日本の社会の180度の転換の中で、私は結婚適齢期を迎えていました。しかし頼りにならぬものを頼りにして、右往左往した戦時中の経験から、私は自分が一生涯を賭けて悔いのない何かをと求めていました。谷川を流れ下る木の葉があっちの岸、こっちの岩と、引っ掛かり、裏返り、あてどなく流れに身を任せて行くのを見て、流れのまにまに波任せ人任せの人生ではなく、少なくとも自分のために,こうありたいと心に響いた道を歩む人生を選びたかったのです。

 そして今感じています。この道は私が選ぶより先に、神が全ての出来事の中に働いてこっちだよ、こっちだよと、私の心を動かしてくださったのだと。

 こうしてキリスト教の教えの内容が少しずつ理解できるようになった頃、戦局は次第に日本に不利になりました。私は、学徒動員されていた呉海軍工廠で、人間魚雷の設計図を写したり、図面上での重量を計算したり、敵の空母からの艦載機の爆弾攻撃の合間を、命がけで働いていました。毎日が、いつ爆死しても不思議でない日々でした。 そして、広島に原爆投下の日、20キロ離れた呉の丘で、ピンクのきのこ雲が空いっぱいにぐんぐん大きく立ち上がるのを見たのです。

 そもそも我が家とキリスト教との縁は、叔母の嫁ぎ先が熱心なカトリック者であったことから始まりました。叔母の養女となった姉が、まず受洗しました

毎週日曜日のミサに出かける姉の後ろ姿を見ながら、カトリック教会に姉を奪い取られたような寂しさを味わっていた私は、姉の読んでいる本を、次々に拾い読みしてみました。

今、修道女として私がここに生きていることを、我ながらつくづく不思議な神さまのいたずらだと思はずにはいられません。

 というのも20歳を過ぎる頃まではキリスト教についてあまり知らなかった私が、キリスト教徒となり、しかも、修道女として自分の一生涯を捧げるという生き方を選ぶなどとは、思ってもいませんでしたから。

 私が選ぶより先に・・・・   S.マリ・モニカ 梶