塩 谷 洋 子

そんなわけで、我が一家はみんな信者になり、私も6人の兄弟とともに次女として育った。戦争がはじまり、父母は会社の関係で大阪に移り、次いで福山の近くの府中市に工場疎開と言う形で引っ越した。そこで終戦を迎えた。終戦の夏、府中にある高い山に登って、焼夷弾が雨のように降り注ぎ真っ赤に焼けている福山を、悲壮な思いで眺めたのを覚えている。戦時中は神父様も捕えられて仙養ヶ原付近に捕虜として収容されたと聞いていた。

福山教会は、東町の民家にあって、小さいながらも数人の信者がおられた。戦争が終わると、ドイツ人の神父様は教会のために憲兵隊の跡地を進駐軍から貰い受け、早速教会が建てられた。

終戦2年後の1947年に援助マリア会のシスター4人がフランスから来られた。その時からシスターの姿を度々見ることになった。シスターが重いバケツを両手に持って、ニコニコと歩いておられるのが印象的であった。

~3年して、家族は東京に帰ることになり、暁の星学院に通っていた姉と妹を残して皆引き揚げた。シスターたちは、上京されると我が家を訪れて下さり、その後も関係は続いた。そんなわけで、私も援助マリア会に入会することになった。

入会から今日までの60年の長い期間には、子供の要理、日曜学校、ブラジルの方々のお世話をした。フランスにも3年間いて日本人センターに行き、日本人のささやかなお世話をさせていただいた。いろんな人が来られ関わりが持てて楽しかった。フランスから帰ると福山教会で、ホームレスの方々の食事を作り、夜まわりの仕事に励んだ。現在は年齢のためれ引退しているが、いろいろな仕事をさせていただき深い関わりのお友達もできて、修道者ならではの喜びを味わっている。

鎖国が解け開国された明治の初めに、曾祖父によって、我が家にキリスト教が入ってくることになった。当時横浜に、パリミッションの神父様が来られ、同時にサンモール修道会のシスター方も来られた。孤児の世話をするためであった。曽祖父は、異国に来てその国の孤児をお世話する宗教はどんなものか?と思って見に行き、心を打たれて洗礼を受け、家族に広まった。
神の導きは、素晴らしい!

代々のクリスチャンの家に生まれて