しかし母から愚痴らしい言葉を聞いたことはなかった。母はよく祈り、「イエズス様がいてくださったから生きてこれたのだ」とよく言っていた。

そういう母を見ていて、14歳のころ、修道生活について関心を持ち始めた。その後何度かお見合いをさせられたが、修道生活のことが頭の後ろにあって、決めえないでいた。

度々私にはどんな生活がいいのかと自問し、「イエズス様についてゆくのが最善かな」と思いつつ、長府援助マリア会で行われた選定の黙想会にあずかった。しかし心は揺れて「主よ、私はお母さんになりたいのです。呼ばないでください」と切にお祈りした。そのことを指導者に話しに行くと、「あなたは召されていますよ」ということで、それからは涙の日々になった。

19歳の時、母が55歳で亡くなり、母のイエズス様に対する信頼と感謝、すべてを委ねた生き方を考えると、自分もイエズス様にゆだねて生きようという思いになって入会した。ノビシア時代に一度、自分のように高慢で我が強いものが修道生活に向いているのだろうかと悩んだが、長女の姉夫婦が、「今までイエズス様によく奉仕してきたかを考えて、もう少し頑張って見なさい」と励ましてくれ、お蔭で今の私がある。どの兄弟たちも本当によくしてくれて感謝でいっぱいである。

修道者になって、福山、東京、韓国と派遣され、韓国では責任を取っていた。その心労もあってか、うつ状態になった。日本に帰って不調、快調を繰り返して情けなく思っていたが、シスターたちに親切にお世話されるうちに、一つの悟りを得た。

シスターたちに申し訳ないと思っても自分では何もできないので、シスターたちの親切を単純に受けよう。自分でできるところは自分でするが、出来ないところはお願いしてしていただこう。高慢だった私は、病気のおかげで、低くなることを学んだ。気持ちが吹っ切れ、明るくなった。自分を受け入れることで、他人をも受け入れることが出来るようになった。うつも随分良くなり、今は、シスターに対して、家族に対して感謝でいっぱいの明るい日々を過ごしている。

私は長崎生まれで、家族全員が信者というの中で育った。9人兄弟のうち4人夭折したので、5人の下から2番目の妹として可愛がって育てられた。家は裕福で、教会がまだなかった頃は家でよくミサが上げられていた。

手広く商売をしていたため、母は奥座敷に悠々と座して子供の成長に心を砕いていたが、私が3歳の時父が他界し、相俟って戦後のインフレで貨幣価値がぐんぐんと下がる事態が起こって、母は死に物狂いで働かざるをえなくなった。借金を抱えながら5人の子供を養うために、慣れない仕入れから売りさばきまで、親戚から借金しての生活で、晩年には脳こうそくのために、寝たり起きたりを繰り返すようになった。

病 は 神 様 の 愛 の 贈 り 物