Sr.Marie 多喜江 池田

 

 その頃わたしは、ホヤホヤのプロテスタントの信者でした。高3で受洗して神戸で就職しました。そこで

紹介された教会はとても遠く、市電に乗って、また歩いてと時間がかかりました。

その頃一つの疑問が湧き出ました。

「祈り」ってなんだろう。

プロテスタントの教会では、長く美しい言葉で祈ります。しかし、新米のわたしには心が付いていきませんで

した。

カトリックの人に聞くと祈りの本があってそれで祈るのだといいます。

「祈り」はなにですか?   


わたしは短大に入ることになって職場をやめ住居も変わりました。新しい住まいの近くにカトリックの教会が

ありました。ここで尋ねてみようと思ったのです。しかし教会の敷居は高く、玄関のベルを押すまで5回も行

きつ戻りつしたのです。

パリーミッションの神父様が「勉強しましょう」と言って公教要理が始まりました。それからしばらくした

ある夜、勉強に来て司祭館の本棚にあった1冊の分厚い古い本をパラリと広げたそのページに「祈りの世界」

について書かれていました。わたしは魅了され、心を奪われました。そんな世界があるなら是非知りたい。

「恩寵の○○・・・○」と言うような書名だったような・・・どうしても本の名前は思い出せません(夢の中

で1度書名を見たのですが目覚めると忘れました)


 そのページを読んだ時、文句なしに洗礼を受けることにしました。その年のクリスマスに受洗しました(そ

の当時は帰正といいました)第二バチカン公会議の前のことです。

「祈りは何ですか」この問いはずっと続いていて、わたしは聖母マリアの会で聖体礼拝をする修道会を探し

ていました。援助マリア会、当時それは福山と下関にありました。そしてそこに入ることになりました。


 「上り」は言葉も上向きですが、下関は本州の果て、都落ちの気分で「下り」の急行電車に乗りました。(ま

だ新幹線は未開通でした)

 ここで祈りと向き合いました。そこは恵に満ちた豊堯の地でした。わたしの「恩寵の○○・・・○」旅路は

それからずっとまだ続いていますし、これからも続くでしょう。あの本にかかれた世界に出会うまで。

                  

皆様、本はお好きですか? 

わたしは1冊の本に出会って旅に出ることになりました。

本 と の 出 会 い