Sr.マ リ・澄 枝 足 門

 やっと入会が許可され、シスターとしての修練がはじまりました。

1970年に初請願を宣立し、最初の使徒職への派遣は、幼稚園に勤務して幼児教育に専念するように。とのことでした。それから40数年の歳月が過ぎました。その間にたくさんの人々との出会いがあり、関わりある方々にいろいろな方面で育てていただく幸せを得て、今日に至っています。

 「神様が何かを頼まれる時は、必ず恵みも一緒にくださる」こと「共にいて働いてくださって、なおすべてを益に変えてくださる」ことを、今、私の中に体験的な確信となって息づいています。自分の召命を疑ったことは一度もありません。神様に感謝のみです。

 しばらく時を経て、少しずつ修道生活を考えるようになり、迷いと悩みが始まりました。私が属していた教会の神父様(イエズス会・フランス人)にこのことを相談したところ、「修道生活を考えるなら、しっかりした霊性を持っている修道会がよい」とのアドバイスを受け、いくつかの修道会を紹介していただきました。

 その中のひとつに援助マリア会があり、詳しく伺かがっているうちにこの会は
@ご聖体礼拝を続けている会であること 
A聖イグナチオの霊操による霊性であること 
Bマリアさまを模範として大切にしている会であるということがわかりました。 
 

でも私の生活とは程遠い感じで、接点を見つけるにはとてもハードルが高くて無理だ・・・・。とても自信はありませんでした。が何度も会を訪問するうちに、親しみを感じて、入会をお願いしてみようかな?という望みが強くなってアタックしたのでした。

 受洗後、数年たって初めて聖週間の典礼に預かり、ご聖体顕示の前で祈ることを体験しました。その時の感動もまた、言葉に表せないほど、私の心に強烈に印象付けられ「このご聖体は決して無くなることなく、永遠のものだ!」と直感しました。

 このままずっと、ご聖体の前で祈り続けたい、私の求めていた永遠に無くならないものは、もしかしてこれではないか?という思いが、ずっと心に残ったのです。

 私は、19歳のクリスマスに受洗しました。その直接のキッカケは、私が家族から離れて寮生活をしていた時、同室にクリスチャンの人がいて、その人は毎日寝る前に、膝まづいてお祈りをしていました。その姿に心打たれて、「いったい何を?だれに?祈っているの?」かを知りたくて、いろいろ聞いてみました。

 そうやってカトリック教会の存在を知ったのです。まったくの興味本位から公教要理をはじめたので「そんなこと誰かの作り話じゃないの?」となかなか本気では信じられませんでした。

でも次が知りたい、その次は?と問い続け、いつの間にか本気で信じる気持ちに変わってきました。そしてなぜか毎週ごミサに預かることが嬉しくて、次の週が待ちどうしくなるほど充実した気持ちになりました。「神様が私を呼んでくださっている」と、今ならわかりますが,その頃は、なんだか心が熱くなって、嬉しくて、どうしてもごミサに行かねば・・・という気持ちでいっぱいでした。

 

神よ、私の心を大きく広げてください。

 小さな心配事から離れて 私の貧しい霊魂に

あなたの愛において 全世界を抱かせてください。」

 
私は毎日の聖体礼拝の前には、必ずこの祈りで始めます。

 それは、イエズスの大きな愛のうちに、すべてを包含し、
 全世界の人々と連帯できるからです。

 私 の 召 命 物 語