今、82歳になり、耳が遠く、動作が鈍くなってきましたが、幸い目はよく見えるので、それを生かして、働かせていただいています。 今も修道者になったのは、神から呼ばれたのだという強い思いがあり、神は私の成長すべてを導いてくださったということが力と感謝になっています。

 ノビシヤ(修練期)時代はとにかく楽しかったです。大雨でブロック塀が倒れても、後ろの山でくたくたになるまで作業をしても、また時にはおにぎりをもって山に登ったりして、9人のノビス(修練者)とともに過ごす日々は、何をしても楽しく思いました。

 初誓願を立て、しばらく長府にいましたが、長崎、大分、福山と援助マリア会の各修道院を転々として、必要に応じて料理、洋裁、掃除、病人訪問など周りの人の喜びになることを淡々としてきました。

 それまでは、勤め先からいつも「家に帰りたい帰りたい」と言って、ちょっとした休暇にも田舎の我が家へ帰ってきていましたが、修道会へ入ってからは、一度も家に帰りたいと思わず、また実際に帰らないので、家のものは心配していたそうです。出家したので帰られないのだろう、淋しい思いをしていなければいいがと、母自身もさびしく思っていたようです。

 父はずい分経った頃、「あの子が一番良いことをした」と言ってくれ、嬉しく思いました。姉たちは、結婚生活での苦しさをいつもぼやいているのに対して、私は楽しいことばかり話すので、そう思ったのでしょう。
 修道会に入会するには受洗後3年を経なければならないという規定のために長い3年間を過ごして、長府の援助マリア会を訪れ、56人と一緒に選定の黙想会にあずかりました。この黙想会で、神のお召を心にはっきりと感じ、ここが私の永住の地であると確信しました。
 呉市で働くようになり、友達に連れられて初めて教会に行った時、私の望みはここにあると直感して、30歳で洗礼を受けました。

 「神と一緒に生きたい」と心に望みを抱いたのは、信者になる10年も前、二十歳前後の時でした。それまで、教会に行くでもなし、シスターの姿は雑誌で少し見ただけなのに、なぜかそんな望みが心に飛び込んできました。

笹木英子

 

「神に呼ばれて」