若い時に出会い私を修道生活に招いて下さった主は、誠実で信頼に値する愛で、今も私を私らしく、私の人生を喜びを持って歩み続けるように導いて下さっています。

 私はこれらのことを誰にも話さずに心に秘めて温めていた。私はとにかく大学を卒業し、2年間埼玉の公立小学校で教師をした後で援助マリア会に入会したのである。24歳の時だった。
 若いということは冒険もできるということであり、私は親には内緒で福山にある援助マリア会を見に行った。大学4年生になる春休みのことだった。まだ新大阪までしか新幹線が通っていなかった。朝6時発のひかりに乗って、新大阪で特急に乗り換えて午後2時に福山に着いた。その時に感じた修道会の持っている質素さと深い祈りの雰囲気、特に聖体礼拝の時間、そして迎えてくださった宣教師からにじみ出ている宣教魂に触れ、援助マリア会の多くは分からなかったが深い印象をもって帰った。姉に言わせると「この人の後なら付いて行っていいと思える人に出会った。」と私が言ったとか。まだ創立者の本が出来ていない時であった。
 今は宣教クララ会に入会した友人の代わりに私は鎌倉で8日間の霊操に参加する機会があった。イエズス会のカンガス神父様の指導であった。神父様は始めは洗礼を受けて半年で修道生活を考えるのは早いと言っておられたが、何回か面接を重ねる内に、もしかして貴女には召し出しがあるかも知れないと言いだした。そして私の持っている修道生活のイメージをお話しすると、援助マリア会が合っているかもしれないと紹介して下さり、そして実際に行って見てくるようにと勧めて下さった。
 神父様は私のそんな様子をじっと見守っておられ、洗礼を受けて間もない時に微笑みながら、「荒井さんはきっと将来修道女になるでしょうね。」と言われ驚いた。後日もう一度、「あれは半分冗談、半分本気でした。他の人にはそんなことは言わない。一度真剣に考えてみたらどうか。」と言われた。思ってもみない道で本当に驚いたが、時間がたつにつれて、じわじわと私の将来の道を明るく照らす招きの声になった。それは心の奥深くに響く喜びのこだまのように感じられた。こんな人生の生き方があったのだ。その後は神父様を通して神様が呼んで下さったのだと疑うことができなかった。
 私は要理を真剣に勉強し直して大学3年生の夏に洗礼を受けた。聖研の仲間は、私がカトリックで洗礼を受けると分かると集中砲火を浴びせてきた。私を色々と質問攻めにした。主に教義と秘跡に関することであったが、私はそれに答えられないとカトリックで洗礼を受けられないと思い、分らないことがある度に神父様の所に行って質問し、彼らに答えるということを繰り返した。必死だった。納得してくれたのかどうか分からないが、いつしか仲間は質問を止めた。そして私の洗礼式の時に来てくれた。
 私はこの辛い挫折の体験を通して、初めてキリストに出会うことができた。あの十字架に架かったキリストの姿こそ、神の愛の姿なのだということがストンと心に落ちた。それはまるで雷に打たれたような感じだった。今でもその瞬間のこと、その場所を覚えている。私が信仰を持つのにこの一点が分かれば十分だった。今まで信じることができないでいたことがジワジワと真実味をもって私の心に入ってきた。
 私はここで一人の方と知り合ってお付き合いを始めた。それが順調に行けば、私は洗礼も受けず、その人と結婚していたかも知れない。でもその人とは1年にも満たないお付き合いで挫折してしまった。人間の愛とは何と脆いものなのか・・・。この体験は私の心に深い傷も残した。
 皆で聖書もよく読んで分ち合いもしたが、皆が信者という訳ではなく、社会や政治、人生論や芸術論、恋愛論などにも花が咲いて、女子高から行った私にはとても新鮮で楽しかった。私にはまだ信仰心はなく、聖書の話は神話のように感じられた。私はむしろ人間の方に興味と関心があった。

私の召命物語を・・・と言われ、召命を決断した時の思い出を綴ってみました。

  私は県立の女子高から地元の国立大学の教育学部に進学した。この大学では教養課程の2年間は教育学部、医学部、工学部の学生が一緒に勉強していた。クラスがないので各自が好きなクラブに所属して過ごした。私は聖書研究部に属することにした。ここは主にプロテスタントの人達の集まるクラブであった。

神について無知な時から、主は私を導かれた