うれしかったのは、1968年、第三修練のためフランスで2年間を過ごし、修練の終わりの1969111日に美しいシャンローゼ(援助マリア会)の聖堂で、大勢のシスターの囲まれて終生誓願を立てたことです。

ここで、終生変わることのない誓約で主に結ばれ、全生涯を愛なる神に捧げる喜びを味わいました。この喜びは現在に繋がっています。

福山の援助マリア会に入会したのは、2級下の友達が援助マリア会に入会していたからで、彼女を通してこの会を知ることになりました。小さい会ではあるものの当時にしては、フランス人好みのかなり開いた雰囲気が感じられて、1960年、昭和35年に入会しました。

入会後は修道生活とはこんなものだと思っていましたからとにかくその生活に邁進し、毎日の修練長訓話と勉強、修道院内のさまざまな仕事に従事しました。

初誓願宣立後は、暁の星中・高等学校で教鞭をとり人生のほとんどをそこで過ごしました。

 

 

ところで、私の「召命」について書いてくれと言われ、昔むかしの記憶を手繰り寄せて記してみることにしました。

昭和20年の終戦の年には、広島の女子高等師範学校の学生でした。86日原爆が落ちて、校舎はすべて倒壊し幾人かの級友が亡くなりました。私も校舎の下敷きになりましたが、必死の思いで抜け出て、とにかく無我夢中で網干の我が家へ帰りました。終戦後は疎開先の学校で卒業し、網干中学校に勤めましたが、更に勉強の必要を感じて研究科に1年在学しました。

学校の隣にはカトリック教会があり、神父様が時々散歩しておられるのを見て興味をひかれて教会に時々訪れるようになりました。2~3年後、豊岡に転勤となった時は毎週のように教会に顔を出したように記憶しています。再び網干に帰った時には、神父様は人手が足りないので、未洗者の私にオルガンを弾かせたり、日曜学校を受け持たせるなどいろいろな仕事を頼まれ、私も喜んでお手伝いをさせてもらいました。

それから何年も経ち、昭和30年頃受洗しました。姫路にある賢明女学院のシスターの姿をちょくちょく見たり、生徒も教会に来るので、修道生活について興味を持ち、受洗の時から自分もシスターになろうと思っていました。

今年、85歳を迎えました。よく生かされて来たものだと思います。

 3、4年前までは病気ひとつせず、退職後も暁の星同窓会の世話とか、典礼奉仕、修道院内のこまごまとした仕事に喜びを感じていました。2年前、自分でも自覚がないまま心臓と胃に病を持ち、手術して始めての入院生活を体験しました。その間、シスターたちが、心配して何かと世話を焼いてくれるのを見て、「主のためにすべてを捨てたものは、百倍を受ける」という主のお言葉を味わったことでした。

退院して、今は、以前の記憶を少しずつ取り戻し、受付や配膳準備などできることをして過ごしています。

主と共に過ごした54年間