当時の福山教会
 修道会を幾つか訪問してみましたが、家の近くの援助マリア修道会が私にとって一番落ち着く感じでしたので入会のお願いをしてお許しがでましたので入会させていただきました。 
 両親も反対しても無駄だと思ったのかひどい反対はしませんでした。 
 イエス様は弱い私を丸ごと受け取ってくださいました。そして百倍の恵を下さっています。すべてを主におゆだねして感謝しております。   
       
 再び教会に行き始め、二十歳のクリスマスに洗礼を受けました。親が何も云わないのでそのまま家に居ました。教会から奨学金をいただいて保育専修学校に行き、帰って二年間教会の幼稚園の先生をして奨学金の返済をしました。その間、私の願いはずっとイエス様のお側に居たいという願望が強くなっていきました。 
途中で親をこんなに悲しませてもいいのだろうかと迷い、神父様に「洗礼をあきらめます」とお話して、教会に行くのを止めました。何ヶ月かそうしていましたが、ある夜月を眺めながら今のままでは満足できない、どうしても教会に行きたいと心から思いました。親の反対を押し切って洗礼を受けるのであれば、家を出なければならないと思い悩みましたが、天地万物を創造された全能の神様ならば、たった一人の小さな人間を養ってくださらないはずはない。私はこの神様に命を賭けよう。もし私が間違っていて野垂れ死にすることになっても後悔しないと決心しました。
 中学校を卒業した年に、父が私をジャンヌ・ダークの映画を見に連れて行ってくれました。その時命を懸けて神を信じる宗教があることを知りました。私もそのような信仰が欲しいと思いました。
 高校一年の時クラスの中にカトリック教会の信者が二人居られました。私が教会に行きたい望みを話すと喜んで教会に連れて行ってくださいました。三年間日曜日のミサと要理の勉強に通いました。
 高三の卒業前に受洗したいと思って父に話ましたら、家の神仏を拝まないで耶蘇を拝むのかと猛反対で殺すぞとまで言われたので、神父様に相談しましたら、二十歳になるまで待ちなさいと言われました。それで、そっと日曜日のミサに行きながら家の手伝いをしていました。
Sr. 森田 令子   

 わたしの召し出しは、洗礼の時から始まりました。国民学校四年生の時第二次世界大戦の終戦を上海で迎えました。一夜の内に町の門衛が日本人から中国兵に変り、一切出ることができなくなりました。
 神国日本、お国の為にと言い聞かされていた価値観が崩れてしまいました。これから何を支えとして生きて行けばよいのかわからなくなり、とても不安でした。大人も同じだったと思います


 
 日本に帰って、両親の宗教遍歴を見ていて、私はご利益などで変わらない、生きて行く指標となるものを探し求めていました。両親は解脱感謝報恩会という宗教に出会い、心が安定したようでした。解脱会の支部長になり家に会員さんが毎月お参りに来られるようになりました。

わたしの召し出し   (すべてを主にお委ねして)