入会の日がやってきました。母のもとを去るとき、彼女は泣いていました。しかし同時に電話で私に安心する言葉を残してくれました。その後で「ソフィー、あなたが、難しいと感じるならいつでも戻っておいで」と言っていました。

私の人生の旅路は簡単なものではないと私はよく知っていました。でも、誰も私を強制したのではなく自分で決めた道です。それは本当に、日々重い十字架であるかもしれませんが、神の恵みによって平和と希望からくる強さをもって、神に「はい」という人生を歩むことになると知っています。

私の夢を実現する道は近くにあるのではないかと思いました。同じ夢で友人になった祈りのグループに加わって、彼らと人生の旅路で遭遇するいろいろなことを話し合うことで、強さと勇気を得ることが出来ました。

私の優しい母は常に私に連れ添って、途中で出会う困難に対して私を慰めてくれました。それまでずっと、私はポンペイの援助マリア会とコンタクトを取っていました。それが私の砦でした。そうした折、シスターマリ光はポンペイからチュークに会いに来てくださいました。私は恥ずかしがり屋で一人で会いに行くことが出来ないので、母がついて行ってくれました。それは母にとって容易なことではなかったと私はよく知っています。しかし、私の夢を尊重してくれたのです。

黙想会が終わるころ、学校の友人や家族から抗議の声が上がりました。私は彼らから電話がかかっても気にしない風を装っていましたが、心の中では泣いていました。しかし、彼らは私を試みた後、私がこの人たちと離れて生きようとするこの望みは、私の一生の真実の欲求だと解る時が来ました。私は時々祈りの中で言いました。「主よ、あなたは私を召し出されたのは、私が多くの苦しみを感じるためですか?私が信用し、力になってほしい人は私を落胆させます。私は弱い人間です。苦痛を与える言葉を受ける力をもはや持っていません」と。

ポンペイの教会

一度、四旬節の間に彼女たちは、黙想会に参加したい人たちのために、サイン・シートを配りました。私はすぐサインし、週末をザビエル高校におもむきました。それは私にとって初めての黙想会でした。

私は、大変熱心に祈りと分かち合いに参加しました。自由時間もありました。そこで、私たちは将来の夢について話し合うために誰かの名前を指名するようにと言われました。将来の夢について本当に分かち合える人として、従姉妹の名を選んだことはとてもラッキーでした。分かち合っている間、私たちが地元の家で共に過ごした美しい日々を思いました。今こうして一緒に、心に秘めた深い夢を語り合ったのは初めてでした。私にとってそれは容易なことではありません。話している間中泣いていました。長い沈黙がありました。従姉妹は私を見て、「心配しないでください!」と言い、「今後私はあなたを本当に助けます」と安心させてくれました。

12歳になった時、私は学校に通うために、本島(チューク)に移りました。毎週の日曜日にカテドラル(大聖堂)のミサに行き、そこで多くのシスターに会う機会がありました。私は夢を思い出しました。そして、彼女たちに会うため、毎日教会に行くようになりました。ある日のミサ後、セント・セシリア学校で集いの会があるというので行ってみました。そこで一人のシスターが、話した言葉をよく覚えています。「私は昨晩イエスに会いました。私はイエスと話していました」という言葉でした。イエスと向かい合って話すという神秘的な夢で、わたしの心は強い感動を覚えました。

その後、ハイスクール1年生になる時まで、その夢は時に忘れかけていましたが、放課後聖書研究を指導してくださるメルセス修道会のシスターに会った時、再び鮮明に甦ってきました。私は大変幸せで、聖書研究に没頭しました。

 Sr.ソフィア・マリー・ロバート
         
         わ た し の 夢


少女のころ、祖母はよく話していました。それは心を躍らせるほど興味深い物語で、私は時々その話を夢見たものです。中でも、白人のシスターは人々をよく助け、神の方へ導く天使のようだという話でした。

「私もそうなりたい」というと、祖母は、「いつかお前も彼女らの一人になるだろうよ」と言いました。でもそれは不可能でしょう。彼女たちは白い人なのに、私は茶色ですから。