S.M.スビラン 杉原法子

「おまえが姉妹の中で一番幸せ者だった」。母が亡くなる前に遺してくれた言葉である。明治生まれで、キリスト教について全く知識のなかった母にとって、修道生活は理解しがたいものであったにちがいない。それだけに、この母の言葉には重みがあった。たしかに、わたしの人生は、神さまの忠実さに支えられて歩き続けることができた、恵の賜物である。

 中学3年生のクリスマスに受洗した。修道的生活への召命の第一歩が始まったのもこの ときだった。神さまから受けた恵みにすべてを賭けて応えたいという強い望みをいただいたのである。それからの10年、決して平らな道ばかりではなかったが、一本の確かな手に導かれて、援助マリア会に入会することができた。
 たどたどしい日本語の宗教の授業を聴きながら、わたしの関心はもっぱら「彼女たちを突き動かしているのは何か」ということであった。彼女たちの背後にあるものが知りたくて教会にも行くようになった。援助マリア会創立者マリー・テレーズの生涯を学ぶ機会にも恵まれた。子どもながら、そのダイナミックな生き方と、またそれと対照的な死に衝撃を受けたことをよく覚えている。
 田舎の小学校で育ったわたしは、叔母に勧められるまま、暁の星中学校を受験したが、そこがミッションスクールであることを知ったのは入学してからだった。初めて出会った「シスター」の存在に驚かされた。
 貧しい敗戦後の日本に、言葉も文化も違うフランス人の修道女が、日本の子どものために、学校を創立したというのである。

援助マリア会との出会い