私の召命について思うとき、いつも生き生きと蘇ってくることがあります。

主は夢の中で幼いサムエルに「サムエル、サムエル」と親しく呼びかけられ、ご自分の思いを伝えられますが、この呼びかけが、過去において、かなり長い間「清美、清美」と強く心に響いていたのを思い出します。

主の招きは必ずしも易しくはないと思うものの、神が私の為に用意してくださったところで生きて行きたいと、その道を選びました。

こうして修道会の共同体の中に受け入れられ、志願期、修練期、初誓願、終生誓願へと進み、一日一日を共同体と共に送られた宣教生活のなかで過ごしてきました。

学校で、教会で、社会の中で人々に出会いながら、また、人々の喜び、苦しみに心を併せながら、日々を生きることは、私の喜びでもあります。

自分自身も年を重ねてゆく中で、病気で苦しんでいる方々、近くや遠くで心身ともに弱って無力になった方々に出会う時、私自身も苦しみで無力さを感じることがたびたびあります。
 このクリスマスには、貧しく、静かに(silently)無力で馬桶に横たわる幼子イエスに出会わせていただきました。(受肉の神秘)又、十字架上で極みまで苦しまれた主イエズス・キリストが苦しみを背って生きている人々や私の中で購いの御業を続けてくださっていることを垣間見させてくださいます。

 神の愛により、無力さ、小ささ、十字架、ベトレヘム、カルワリオがミサの中で聖変化され、聖別されていく生活に、私たちは招かれているのだと、最近深く気づかされている日々です。
 援助マリア会の聖体礼拝の使命は、それを容易に想起させてくれます。

神が私に用意してくださった場はそういう所、日々の生活、人々とのかかわりの中で起こってくる、何気ないところ、今自分が立っているところが聖地だと味わっています。

 そして、この地(グランド)で神の愛をいっぱい受け、分かち合っていく、それが私たち一人一人の召命だと気づかされている毎日です。
Sr.森永清美

「神が用意してくださったところで生きて行きたい」