まだ幼い三・四歳の頃、私は叔母の家に養女にと望まれた。当時、私の生まれた町の近郊では、キリスト教
の信者は皆無であった。たまたま、叔母の嫁ぎ先がカトリックであり、養父は熱心な信者であった。そのため、
幼い頃から、横浜の山手の教会のミサに与かり、帰りには近くに住む伯父の家に寄ることになっていた。そこ
には、従姉妹たちが大勢いて、遊ぶのにも風呂敷をかぶってシスターごっこをしていた。

 後に、長男を除いて司祭1名、修道女7名の召し出しがあった。多分私も聖なるばい菌を頂いたのかも知れ
ない。

 小学校1年の終わりに養父が病気のため急死し、私は実父母のもとに一時帰った。そのうちに、戦争の気配が色濃くなり、養母も横浜から疎開して福山へ移り、教会のお手伝いをすることになった。やがて戦争も激しくなり、福山も焼け野が原となり終戦を迎えた。私は再び養女のもとへ帰った。

 その頃、フランスから修道会を招致する動きがあり、愛宮師を通して援助マリア会が福山へ派遣されることになった。修道院の建物が出来るまで、焼け跡に建った司祭館に最初の4人の修道女が落ち着くことになる。

ちょうど同じ敷地内に住んでいた私は、修道会の日本創立の当初から、シスター達の生活を近くからつぶさに見、その貧しさの中のよろこび、宣教者としての熱誠さ、聖体礼拝の姿に心惹かれた。

こうして、修道生活への希望も、神様の方から、すべてを準備してくださった。み摂理の道を感謝しながら、今も歩み続けている。

主は道を備えてくださった。


      S.M.アロイジオ 大木敦子