Sr.千代 高戸
 そして5日目、小さき花の聖テレジアの祝日の朝 (この当時は10月3日が祝日でした) 、心の底からふつふつと湧きあがる喜びで目が覚めました。その喜びは顔中に広がり、手にも足にも体中に行き渡って、飛び跳ねたい気持ちになりました。不思議な感じでした。

この時から、心の中の喜びと平安は消えることなく、今に至っています。

神様の強引さに今では只々感謝しています。

 入会の日に予定通り家族と修道院に行きました。そこにはすでに4人の志願者が集っていました。それぞれの修室に案内されたところは、当時のことですから、ただ衝立とカーテンで仕切られた小さな部屋で、べッドと下着を入れる小さなサイドテーブルがあるだけの殺風景なところでした。こんなところで一生を過ごすのかと思うと途方に暮れる思いで数日を過ごしました。
 ところがその年に限って修練長様のご都合で入会は9月の末まで延ばされたのです。その6カ月間は悲しみの中で苦悩しました。神父様やシスターの姿を見ると涙が出て仕方がないので、相談どころか逃げるようにして立ち去り、家では悲しんでいるらしい母に心の苦悩を見せるわけにはいかず、気を紛らわせるところがないままに、昼間はにこにこと、夜は夢の中でよく泣いていました。

過ぎてしまえば全ていい思い出になるのですが、今日までの生活の中で一番苦しい時といっても過言ではないと思います。

 相手の方の心を傷つけないように配慮しながら、退職願を準備し、入会手続きを済ませ、5月に入会するつもりで3月末に退職しました。
 そこで、「神様、私のことはもう構わないでください」とか、「私は自分の望みを犠牲にしてあなたの言われるとおりにするのですからね。良く覚えていてください」とか様々に悪態をつきながらも、神様の強引な誘いに屈してしまいました。
 残念なことに、私の心は選定の決心を覚えていました !

勤め始めて2年の終わりが近づくと、進むべき道をはっきりさせなくてはという思いに引き戻され、その時から悩みが始まりました。

 結婚しようと心に決めると、とてもうれしくて気持はルンルンになるのですが、心の底では何か不安で落ち着きがなくなるのです。では修道院に入ろうと決心すると、心はぐっと安定するのですが、悲しくてどうしようもないのです。こんなことを繰り返し繰り返ししているうちに、ふと死ぬ時のことが浮かび、私は神が決めてくださった道を歩まなかったと後悔するに違いないと思いはじめました。
 県病院とはいえ島の病院であり、職員30人そこそこの職場は、勤め始めから親しみやすく、気の合う友達とよく歌い、よく笑い、詩を暗唱するなどしてロマンチックな日を過ごしていました。クリスマスが近づくとクリスチャンが一人もいない職場でクリスマスタブローをしたり、忘年会では職員グループの出し物を競い合ったりと、仕事以外でもとても張りのある、楽しい雰囲気の中で過ごしていました。

そのうちお互いに愛し合える人ができ、愛の素晴らしさを体験して、心が柔らかく広がるのを感じました。それまでの私は知性と意志が人の価値を決めるものだと考えていたので、大きな開眼でした。

 そこまではとても良かったのですが ・ ・ ・ 。
 早速、心を弾ませながら指導のシスターに報告すると、「いいえあなたは修道生活に招かれていますよ」と言われ、拍子抜けがするとともに、不思議なことに「神様はまだ私のことを覚えていてくださるのだ」という喜びが心に広がりました。 「では気が変わらないうちに、今すぐ入ります」というと、シスターは「2年くらい社会を見ていらっしゃい。恋愛の一つ二つは経験してきなさい」と言われ、驚くとともに、喜んで病院の勤めに入りました。
 20歳になり、就職を控えて、自分の心の態度をしっかり決めて社会に出なくてはと思い、母校の援助マリア会のシスターに選定の黙想をお願いしました。シスターから修道生活も、結婚生活もどちらもすばらしく、神のみ栄になると聞いて、では結婚してたくさんの神の子供を育てる方がいいではないかと思いました。
 しかし、高校も半ばを過ぎて、級友たちと結婚の夢を話し合う頃になると、結婚もいいなと思うようになり、心の中には何か引っかかるものを感じながらも、結婚の魅力に魅かれるようになって行きました。

 洗礼を受けたのは中二のクリスマスの時でした。洗礼の時の願いは必ず叶えられると聞いていたので、もし神様が、私をシスターにしたいとお望みならばシスターになりたい気持ちを起こさせてください、と願いました。それからは神様は私の願いを聞いてくださるかしらと、心の中に期待と喜びを感じながら過ごしていました。

神様の強引な招きに屈して