Sr. Marie 満恵 畑

 カトリックとは何の関係もない環境にいた、無に等しいちっぽけな私に、神は目を留め、ご自分の方へと引き寄せておられたのを見る思いでした。感謝、賛美、礼拝。!!

小学校の卒業に当たって、私の両親が神様に導かれたとしか言いようがありませんが、私は思いがけなくも、中学からカトリック校に入学しました。

校内で見かけるシスター達の姿は、厳然としていて、カトリックの神の存在を証ししているように見えました。

ある日の全校朝礼のときです。フランス人シスターの校長先生が”祈りは神様とお話することです”と話され、神様がより近い存在に感じられたのを記憶しています。又、遅く下校した日など、自転車通学の私に、自転車置場の横の聖堂から、シスター達の祈る声が、清く、すがすがしく心に響き、何かに惹きつけられるものがありました。

どの神が真の神?。神は唯一のはず。悩みの末、カトリックの神に賭けることにして、19歳で受洗。

“受洗の時の願いは何でも叶えて貰える”ということを耳にした私は、1つは、“出来れば修道生活に呼んで下さい”と密かに願いました。しかし、修道生活は私にはほど遠い生活と思われ、現実には結婚生活を準備していました。ところが、知人の入会を耳にし、私も可能かも?と希望が湧いてきました。

一方では、世間的な考えを持つ私は、様々な紆余曲折を経て、ついに24歳で自分を手放し、猛反対だった母も“暁の星の修道院なら”と許可してくれたので、修道生活への道を歩みはじめることになりました。

一番の喜びは、聖堂のイエス様と同じ屋根の下で暮らせることでした。幸せでした。

 幼い頃から、毎朝、日本の八百万(やおよろず)の神に敬虔に頭を下げ、手をパチパチ叩いている父の後姿を見て、偉大な方の存在は私の心に入っていました。

 聖体のみ前で
今、こうして韓国のシスターたちと幸せに暮らしている私の召命について
振り返ってみました。

神 に ひ か れ て