Sr .M. 泉 北村

高校からカトリック学校の福山暁の星女子高等学校に入学した。フランス人のわからない日本語で宗教の授業があり、神様、神様と連発されても何の知識もない者には、「存在を証明してよ!!」と反発を覚えるだけだった。

高校2年生の秋の日曜日、澄み切った青空のもと絵が好きだった私は友達と近くの山に写生をしに登った。退屈になって山に寝っころがってどこまでも青い空を見ていた。突然、背中の山がなくなって、深い谷底に落ちるような感覚を覚えた。あーっ、どこまで落ちるのか??一瞬の間だったが、その時悟りとしか言いようのないことだった。自分は今まで自分で生きていると思っていたが、私の命は支えられて在る。その支える大きな手、あーこれを神様というのか。それからはいろんなことが素直に受け入れられ、キリストの命につながって生きたいと洗礼を望むようになった。

私が洗礼を受けることを母に願ったとき、母は、「信仰はアクセサリーではないよ。生き方ですよ。生涯それを貫くことができるのだったら、自分の自由にしなさい。」とあっさり(と感じたが・・・)許してくれました。

  3のとき宗教の時間に、女性の生き方について考える時間があった。
 私は絶対に父親のいる家庭、沢山の子どもに囲まれた幸せな家庭をつくろうと夢見ていた。が、高校を卒業してすぐ社会に出た私は、人生は一回限り、この大事な人生を自分の幸せな家庭の夢だけで終わっていいのだろうかという疑問が心に湧いてきた。
 一回限りの人生を、自分だけのためでなく、もっと違う生き方があるのではないかと考え始めると、結婚だけが全てでないという思いが大きくなり、キリストの生き方は私に何を語っているのだろうかと、自問自答した。
 そんな時、教会の聖母会の集まりに臨時に来られたイエズス会の神父が修道生活について話してくださった。「祈りの生活が地球を覆っている。この世界は祈りの支えなしには存在し得ない。特に一人ひとりの人間が神に向かって、また人に対して犯す過ち、社会の罪の償いをする修道者の奉献が人々の霊的な命を支えている。」という意味のお話を聞いて、身近な人のあることがらで償いの必要性を感じていた私は目が開かれた。そういう生き方があるのだ!と。

そのような目で見ると、卒業した高校にはシスターがいたではないか。当時は目にも入っていなかったシスターの存在をはじめて意識した。どんな生活をしているのか興味が湧いてきて、選定の黙想に招かれ、援助マリア会の修道生活の根本にある、キリストの購いと償いの祈りである聖体礼拝が私の心の中で輝いてきた。

 この招きこそ、私の一回限りの人生を賭ける価値があると悟り、真っ直ぐな気持ちでそれに応えた。

 母に自分の望みを打ち明けたとき、母は「あなたがそれで幸せなら。お母さんがあなたの人生を歩むことはできないんだから、自分の幸せになれる道を行きなさい。でも少し早いのでないかしら?!」と。あっさり(とその時は感じたが・・・)許してくれた。

 
 こうして私の心の奥底にある憧れのイメージは、私のこの身において実現しているのです。御父の大きな手がずっと私の手を握りしめ、導いてくださって、幸せな修道生活を歩ませていただいています。

お父さんの大きな手を小さな手がしっかり握り締めて、歩いている父子
(おやこ)の姿は、私の心の奥底にある憧れのイメージだった。

私は2歳のとき広島の原爆で父を亡くし、父の顔も声も全く記憶にない。

 

父の手に引かれて