主の大いなる憐れみを、とこしえに歌わん 

神の選び、神の愛の不思議さよ、
 修道院に入ってから、すでに50年もたった今も、淨配であるキリストは変わることなく、
私の愛にとどまりなさい…とおっしゃって下さいます。これからも永遠の世界に呼ばれるまで、どうかこの愛に信頼して、主とともに歩み続けることができるよう日々祈っています。

有期誓願期も過ぎ、終生誓願の時いただいた指輪には次の言葉が刻まれいてます。
Elegite””Ecce ego mitte me”(私はあなたを選んだ私がおります。私をお遣わしください)

修練院、それは慣れない生活の辛さ、特に自我との闘いがあるものの、同時にたとえようもない美しくも深い霊的体験があり、特に聖イグナチオの霊性による一か月の霊操体験は生涯の霊的な基礎となり、宝となりました。

ひとたび修道生活と決心した今、ある朝、校長であるSMフレデリックにそれらのことを話しました。
その時、彼女から出た言葉、それは生涯忘れることがないでしょう。

 「もし、イエス様があなたを修道生活に呼んだなら、それらの責任はイエス様がとります!」とはっきりと言われ、この確信に満ちた助言は生涯忘れることは出来ません。それは神様が姉妹を通して語られた愛と力に満ちた言葉でした。

 事実、その後に起こった様々な困難に遭遇するたびに、その言葉通り、すべては主のみ手の中で実現していきました。

これらのことが私の心に重くのしかかり、家族との永劫の別れの辛さ等々を思いながら、帰郷する列車の中であふれる涙をどうすることもできませんでした。

さらに父はその数年前に脳溢血で倒れ、いくらか回復したものの、以前のように郵便局長代理としての重責を担うことはすでに不可能でした。また、私は6人姉妹の長女で、本来ならば私が家を継ぐのが当然と思われていました。

問題はそれからでした。
まず両親に手紙を書きました。当時はひとたび修道院に入ったら、生涯家を訪問することなど考えられもしない時代でしたから両親はどんなに驚き悲しんだことでしょう。

  洗礼の準備の時からずっと、指導を受けていたのはイエズス会の神父さまでした。そこで聖イグナチオの霊性こそは、私の修道生活にとって最も力あるものとして示されました。早速1955年に選定の黙想に与かり、そこではっきりと援助マリア会への召し出しを確認しました。

 それではどの修道会に?

当時、始まったばかりの、一般信徒にも開かれた上智大学での夏期神学講座に参加し近くの書店で一冊の本Sponsa verbi(「聖言葉の浄配」)に 出合いました。この小さな本はを探し求めていた私に、将来辿るべき道を明らかに照らし出してくれました。

大学の3年生のとき、友人に誘われてカトリックの門をたたき、真理はここにあると、4年生で受洗しました。すでに受洗する前から"神さまと人々のために捧げられた"修道生活の道は、若い私の心をとらえていました。かの識別の期間となりました。

 「幸いなるかな心の貧しきもの」、「野の百合を見よ、空の鳥を見よ・・」、私の心はその一言一言に奪われてしまいました。

 1945815日、この終戦の日は、当時女学校3年生であった私にとっても、生涯の決定的な転換を迫る忘れ得ない日になりました。
 その日まで、軍国主義一点張りだった日本全土がひっくり返ったような状況の中で、一冊の本に出会いました。

 それは賀川豊彦著「死線を超えて」と言う自伝的著書でした。そして幸いそれと同じ頃始めて聖書と出会ったのです。そこには今までの人生観、世界観を覆すような言葉が私の心の深くにひびき渡りました。

主はその小さなはした女に御目をとめてくださいました。