Sr.Marie constance 栗谷川
こうして好むと好まざるとにかかわらず、自然にカトリックの雰囲気の中におかれてとうとう4年生の夏に洗礼の恵みをいただいた。

 修道生活について考えるきっかけは、やはり大学内のシスターの存在であった。年輩で、日本語が話せない外国人のシスターが、毎日笑顔で校舎の廊下を掃除しておられた。

「わざわざ遠く外国から来て、毎日掃除をしている。この生き方は何なのか?・・・」

この問いが私の心に住み始めた。

 卒業後、援助マリア修道会経営の女子高に就職した。修道院の聖堂に入ったとき、聖体礼拝が行われていた。「ああ、ここでも・・・」と思った。

 この頃から心の奥に、“来なさい“という呼びかけを聴くようになった。拒否、逡巡の末この修道会に入会して今に至っている。

来し方を振り返ってみるとき、自分の弱さ故の悩み、反発等々あったが、神の摂理にに導かれ、恵みに育まれて歩み続けて来れたことを感謝している。

 私は学生寮にいたのであるが、教会の大祝日に、大学でミサが捧げられるときは、寮生が聖歌隊となりグレゴリオ聖歌を歌った。意味はわからないながらも、美しいと思った。
 またもう一つ心に深く印象づけられたことは、シスター達の聖体礼拝であった。身動き一つせず、ひざまづいて祈る姿に、聖なる(?)驚きを感じた。

 入学して最初の宗教の授業で聞いた話で、私の人生問題の悩みに明快な答えが与えられ、非常に嬉しかった。

 それが高校3年生になって、進学のこと、更にはもっと将来のことなどを考え始めたときから、人生問題について悩み始めた。 とりあえず進学することにして、修道会経営の女子大に入学した。女子大であることと、私の学びたい学科があったことの2点で、この大学を選んだのであって、カトリックの学校であることは全く知らなかった。
 試験第1日目、初めて修道女の姿を見てびっくりし、“何と場ちがいな所に来てしまったことよ”と思った。
 田舎で育った私は、高校2年生までは、まことに無邪気な少女であった 
田舎で育った私は・・・