Sr.和 恵

時が経ち、父の死の知らせを聞いた時、私自身大変ショックを受けました。理解してもらえない父に対して、私の意志で今の生活を選んだのでしたが、反対しながらもその背後で私を信じ、支えてくれた父を、強く感じたのです。

そして、父に向かってさけんだのです。「父さんありがとう! 父さんのおかげで カトリック信者になり、修道女にまで導かれ ポンペイにまで派遣されたのよ。幸せです。父さんありがとう。」と。

マイナスに見ていたものが、長い道のりを通して神の恵みによってプラスに変えられていくこと、また神は、小さい者をもご自分の道具とされるという体験をさせてもらいました。 

 神に感謝!!

しかし、すぐには洗礼を受けず2年後に受洗しました。数年後して父に修道生活への呼びかけのこと、人々に奉仕したいということなど話しましたが、父の常識では理解できませんでした。母は「あなたの人生だから、あなたが決めることだけどね」といいましたが、不安のようでした。

神父が「・・・これはあなたがたのために渡されるわたしのからだである」といわれて、ご聖体を高く掲げられたその時、なんと以前に直感したことのある、白くて丸いご聖体が、私の眼に飛び込んできました。あ!これだと、心の底からさけびました。 

教会に行ったら 何か解るかもという思いで行き始めました。そこでは、青年会や公教要理の集まりというものがあるのを知って、参加しはじめました。ある日、信者の人が「木村さん 日曜日の礼拝式にいっしょに参加しない?」と誘ってくださり、彼女といっしょにミサに参加しました。ミサの中で 私を大変驚かせたことが起ったのです。

父は酒好きで、仕事が終ったら友人たちと飲み歩いていました。私はそんな父を好きになれませんでした。父の生き方を見ながら、人間は死んだら終わりなのか 死の先に何かがあるのだろうかという疑問をもちはじめました。人生がもし死で終わりで、現世だけの生であるならば、私は尊敬できる父親に恵まれ、自分自身も美人で勉強好きな女の子として生きたかったと思ったが、現実は全くその反対でした。

 私は仏教徒の家族に生まれました。19才の頃天を眺めながら、白くて丸く力強いものがあって、誰がいつ見てもそれだけは変わらないというものがあれば、何と嬉しいことだろうという思いを抱いていました。

神 に 導 か れ て