四旬節の間、見知らぬ信者さんたちが、指導司祭を取り去られて孤児状態になった私たちのためにどれほど祈ってくださったかを私は決して忘れることができません。教会の大きな祈りの支えは私の力でした。

 この司祭に伴っていただいた洗礼の道は、たぶん援助マリア会への道だったのでしょう。援助マリア会のミッショネールたち、また宣教師たちは、命を与えながら、私のうちにその使命を引き継いでいくようにされたのです。

 洗礼を受けたら、仏教や神道などの宗教的影響を受けた自分の土台は、なくなってしまうのでしょうか。いいえ私は私のままです。自分が育った文化・歴史の土台の上に立っています。一貫性のあるものです。これは、インカルチュレーション、文化受容の問題ですが、それについては、今回はあまり触れないでおきます。

 アジアにまかれた神のみ言葉は少しずつ成長し、畑は色づいています。私たちは神に感謝しながら、信頼のうちに種を蒔き続けます。もし福音が告げられなかったら、誰が聴くことができるでしょうか。          Sr.今嶋 (フランス在住)  

 ある日、直観的に「神がいつも私たちとともにいる」ことがわかりました。神がご自分をあらわすことなしに、どうして私たちは神を知り、神に近づくことができるでしょう。そして自分が寄って立つことができる巌を見つけたのです。その時はまだ洗礼を受けていませんでしたが、自分にとつて決定的な信仰の始まりでした。ほどなく教会の門をたたきました。イェズス会のドイツ人宣教師が私を迎えてくださいました。しかし、洗礼直前の四旬節に神父さまは急死されました。「友に命を与えること、これより大きな愛はない」(ヨハネ15)。私をいのちへと導かれた師の姿は私の心に焼き付けられました。また宣教師魂のかたまりも。
 やがて貿易会社に就職して外国人と接する機会ができるようになって、私は自分がこだわっていた偏狭な日本教を脱することができました。宗教や国籍が違っていても、みな人間として同じだという当然のことにやっと気がついたのです。私の外国人に対する偏見は取り去られ、同時にキリスト教や西洋文化のけぎらいからくる無理解から抜けることができました。
 私はキリスト教徒の家庭で育ったわけではありません。カトリックに接したことがなかった私は、キリスト教は外国の宗教だと決め付け、日本人には日本の宗教があるといって、教会に足を向けることはまったくありませんでした。伝統宗教や民間信仰について学びましたが信仰するにはいたりませんでした。

     私の召命物語