聖書百週間を始めて改めて旧約聖書を読んでみると、新しい発見に出会います。

天地創造のところでは、神は何のために宇宙や人間を創造されたのかと時に聞
かれることがあります。神は三位の愛で充ち満ちておられ、何一つ欠けたところ
がなく、他の何物の存在も必要とされないお方であると言われているのに、と。

メソポタミア神話では、神は人間を自分の慰めとし、自分に仕える奴隷として
造られたと言っていますが、聖書の神もそうなのでしょうか。

考えられることは、宇宙創造の目的は、神ご自身のためではなく、あくまで、宇宙と人間への限りない愛から出たものと言えるでしょう。神は人間の罪によって堕落した人類を救うため、この世に、御子を「人の子」として与え、購なってくださったことを考えると、ただただ神の無償の愛を感じないではいられません。神はあらかじめ御子によって人間をそして宇宙を、永遠の喜び、三位の神の愛の交わりに入れさせるために創造してくださったと言えるでしょう。そして、これこそが神の栄光でした。(*1)

  さて、創世記には「エデンの園」が登場します。エデンの園の場所はチグリス・ユーフラテス河という非常に具体的な名前で紹介されていますが、このメソポタミア地域が果たしてエデンの園であったとは、今は誰も考えることはできないないでしょう。J資料によるとエデンの園は場所よりも、むしろ「喜びの意」として、その意味の方に関心が寄せられています。園はイスラエルの民にとって何よりも大切な豊かな水と、沢山の木々の生い茂る理想郷として描かれています。また、当時の最高の宝も多く産出し大変豊かなところと表現されています。人間はその地を更に豊かするために耕し、すべての生き物を支配するようにとの使命が与えられました。

 ただ、園の中央には「生命の木」と「善悪の知識の木」が植えられてあり、「善悪の知識の木からは決して食べてはならない。死んでしまうから。」と一つの戒めが与えられました。

 この「善悪の知識の木」とは何でしょうか。何故それを食べてはならないと命じられたのでしょうか。
いろいろ調べてみると、「改訂版カトリック聖書新注解書1976年」には、「神が園における人間に従順            を試みるために課せられたある種の禁令」と書かれています。また、「新聖書注解書1976年」でも「人間            は自由であるが、神の戒めに従って神に従うという条件においての自由である」と解釈しています。

神はすべてを愛を持って人間の幸せのために造られたのに、なぜこの期に及んでこのような禁令を出さ             れたのでしょうか。私には理解し難いことです。すばらしい創造の業のここにきて、神はご自分と人間との格差を強調されたいのでしょうか。「おまえは被造物だから、造り主である神に従属しなければならない」とおっしゃりたいのでしょうか。

私にはどうしてもそうは思えないのです。先に述べたように、神は人間をそして宇宙を、三位の神の交わりに与らせたいと創造されたはずです。そして神に逆らった人間を、御子の大きな犠牲を払ってでも救いだし、再び神の国に迎えようとしてくださった方です。この禁令はそうした神の無償の愛にそぐわないように思えるのです。

 2002年になって出された「カトリック教会のカテキズム」には、『「善悪の知識」の木は、被造物として
の人間が信頼を持って自由に認め、尊重しなければならない限界を、象徴的に表している。人間は創造主に
従属する。創造の法則と、自由意志の行使を規制する道徳的規範とに従うべきなのである。
(396)」』と説
いていて、以前の解釈の仕方と、多少変わってきているように思えますが、まだ、十分に納得できません。

 私は次のように考えます。「エデンの園」とは、即「人間の心」ではないかと。(*2)

人間の心は、もともと大変豊かで、その中には多くの能力を表す木々が繁茂しており、人はその能力を自分のものとして自由に使用できました。心の深みには「神の命の木」が植えられてあり、その大切な「神の命の木」を守るために、神はすべての人に善悪を判断する「良心」(善悪の知識の木)を刻みつけられました動物と違い、本能を超えた霊の能力と自由を与えられた人間が、従順を試みられるためではなく、自らを成長させ、完成させるために道案内をするものとして「良心」善悪の知識の木)を与えられたのではないでしょうか。

 「良心」について、現代世界憲章は次のように述べています。   

「人間は良心の奥底に法を見いだす。この法は人間が自らに課したものではなく、人間が従わなければならないものである。この法の声は、常に善を愛し行い、悪を避けるよう勧める。これは神から刻まれた法であり、それに従うことが人間の尊厳なのであり、また、人間はそれによって裁かれるのである。・・・」と。

 以上が私の考える「エデンの園と善悪の知識の木」です。

 私にとっては、神の愛はどこまでも無償で広く、神の最愛のみ子を人間界に与えてくださるほど、「御父は、世を愛してくださった」(ヨハネ3/16)と思うのです。

*1 カトリック教会のカテキズム280に「創造は、神の救いのすべての計画」の土台、キリストを頂点とする「救いの歴史の始まり」である。----「初めから、神はキリストにおける新たな創造の輝きを意図しておられた。」と記されている。

  *2(これについては、「宇宙の進化と聖書」と題する暁の星栄養福祉専門学校紀要1997年に、簡単に触れたことがある。)

                                                        20124月   (C.T)

 

「エデンの園・善悪を知る木の実(創世記23)