<エデンの園=人の心>

さて、神は人間をエデンの園におき、そこを耕すようにされた。そこは良い実をもたら
すたくさんの木が生え、上等な金や宝石も産出する、大変豊かな所として描かれている。
神はその園を度々訪れ、人と交わるのを楽しみとされていた。園の中央には「命の木」
と「善悪の知識の木」を生え出でさせられた。そして「園にあるすべての木から取って
食べても良いが、善悪の知識の木からは決して食べてはならない、死んでしまうから」
という一つの掟を与えられたのである。エデンの園とは人間の心を表していると解釈
したい。そこは、大変豊かで良いもので満たされており、良い成果をもたらす様々な能力(木々)が備えられている。人間は自分に与えられた能力を、自分のものとしてどのように使用することもできた。心理学者によると、人間は一生の間に与えられた才能の5%も使用していないということだから、一人一人にどれ程多くの能力が与えられているか想像がつくであろう。

 心の深奥にはイエス・キリストによってもたらされた神の命(生命の木)と,それを守り育てるために、善悪を判断させる神の声である良心(善悪の知識の木)があり、人間はその良心に従って生きるならば、永遠に生きる神の命を保つことができた。自由を与えられた人間が、神と隣人との前に正しい道を歩んで行くことができるように、神は良心という道案内を与えられたのである。このようにして、人間が自由に自分の心(エデンの園)を耕し、成長させていくことができるようにされたのである。第二バチカン公会議は、「現代世界憲章」の中で、良心について、「良心は感嘆すべき方法で神と隣人に対する愛の中に成就する法を解らせる」と言っている。

 

<人間は孤独な存在としては造られていない>

 神はまた、「人間が一人でいるのは良くない。彼に合う助けるものを造ろう」と考えられた。そしてあらゆる動物を人の前につれてこられたが、その中には人間の協力者となるものは見い出せなかった。人間と動物は本質的に違う次元で生きているのである。そこで神は人を眠らせ、肋骨で女を造られたのであるが、女は男の骨の骨、肉の肉であり完全に同質のものであった。旧約時代、女性は人間の数に数えられなかった社会情勢の中で、聖書が女性を高く評価し、男性と本質的に変わらないものとみなしているのは、驚くに値する事である。

 人間は孤独な存在としては造られていない。愛は自己から出て他者に向かわせるものである。人は交わりを持つべきものとして造られたのであって、人類が愛によって一致し、一つの共同体となって神の国に入ることを神は望んでおられた。人間は個々人としても神から愛される存在であるが、同時にイエス・キリストを中心とした共同体として、神から愛される存在である。個々人は、イエス・キリストを頭とする神秘体の一部分として、お互いに関わりながら生きている。一部が傷つけば全体が痛み、他の一部が力を持てば全体が元気になる共同体として、イエス・キリストと共に、オメガである永遠の神の国へ到達すべき目的を持ったものとして造られた。人類だけでなく、全宇宙もまたキリストによって、人間を通して、神の栄光に与かるものとして創造されたのである。これについてパウロは次のように述べている。「被造物も、いつか滅びの隷属から解放されて、神の子供達の自由に与かれるのです。被造物はすべて今日まで、共にうめき、共に生みの苦しみを味わっています」。このようにして全宇宙は、オメガ点である神に向かって収斂して行き、創造された目的に達することであろう。

 

宇宙進化論を通して聖書を読む  つづき