ゲッセマニにおいては、悪魔からの最後の誘惑が訪れ、血の汗を滴らせるほど苦しまれるが、
もうその決心には変わりがない。イエスは敵の手に自分を任せ、なされるままに黙々と従って行
かれる。その間、彼の心には敵対する周囲の者に対する怒りはなく、ただ、自分のこの死によ
ってすべての人が救われるようにと父なる神に対する対話しかない。

 最後の時が迫った時、イエスは全人類の罪を一身に負って、罪深い人間の一人となられ、今までい
つも身近に感じておられた父なる神から隔絶された時の苦しみを味わわれる。「わが神、わが神、なぜ
私を見捨てられたのか----」。心の底から湧きあがる強い嘆きであったに違いない。愛である神から隔
絶された地獄の苦しみをもって、イエスは地獄に下る人間すべての罪をも救う者となられた。

 イエスは我々同様の人間として神の御心を探し求め、悩みながら、苦しみながら、従って行かれた。
それは全人類の救いとなったと同時に、我々人間も同じように神の御旨を探し求めて生きていく「道」
となった。(ヨハネ14 :6)

 人間としての道を完全に、最高に歩み抜かれたイエスは、死んで三日目に人間の初穂として復活し、神の栄光をいや増すものとなられた。死後の復活もまた、全人類に与えられた道である。我々は神の御子によって、御子において、創られ、御子が人間の世界に入られたことでイエスの兄弟とされ、イエスの死によって永遠の生命を購われ、イエスと共に永遠に、父なる神に賛美と感謝を捧げるものとなるよう招かれているのである。

 主イエスに永久(とわ)に栄光がありますように。アーメン。

 

 

                     2003.4  高 戸 千 代

その4. 使命の完遂