長崎修道院は、1972年に創立されました。当時は、大勢の若者が
 中学校を卒業と同時に、都会に“集団就職”をしていた頃でした。

  長崎(特に五島など)でも若者が、移動信徒として大阪方面に就職
 して行きました。

  都会に出た若者は往々にして都会の教会になじめず、教会の保護を
 受けないまま、
信仰生活が希薄になってきている現状を見て、なんと
 か手を打たなければ・・・と、
日本の教会が考えていた頃でした。
 
  そこで援助マリア会でも彼らを“迎える側”の西宮修道院と
“送り
 出す側”の長崎修道院を同時に創立しました。

  長崎創立当初は、中町教会に17年、借家住まいさせたいただき、
 中町教会・大浦教会のカテキスタとしての働きもはじめました。
  1989年、ようやく家を建て、現在の三原に移りました。
 時代の変遷により、若者の集団就職ということはほとんどなくなり、
 今は移動信徒のための働きはしていませんがカトリックセンター・
 大浦教会・中町教会、そして本原教会で、
カテキスタとして人びとの
(特に子どもたちの)信仰の育成のために働いています
プチジャン神父に案内され、訪れる信徒たち
 その中に安置された聖母像は、400年間続く司祭不在の年月を通して信仰を守り続けた信徒の、発見のきっかけとなった。
 
今は「信徒発見のマリア像」と呼ばれて、尊ばれ、感謝の祈りが捧げられている。
 内部の天井は美しいゴシック風の様式をなし、多くの観光客が訪れている。

 大浦天主堂は、現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会である。
 1864年12月にフランス人・プチジャン神父によって建立され、1933年には文部省指定の国宝となっている。

大浦天主堂
  日本二十六聖人殉教記念地 
      
中町教会から徒歩で10分のところにある小高い丘の上にあります。
豊臣秀吉の禁教令により京都や大阪でとらえられた外国人宣教師6人と子供を含む日本人20名は長崎に送られ、慶長元年(1597)2月5日に、長崎西坂の地で処刑されました。外国人宣教師達はここがキリストが処刑されたゴルゴダの丘に似ている為この地で処刑されることを希望したと言われています。
 中町教会はまた、長崎十六聖人に捧げられています。 この聖トマス西と十五殉教者16人は、徳川幕府が支配した江戸時代、厳しい禁教令のなかで、1633年から1637年にかけて、長崎の西坂の丘で穴吊りや火あぶり、水責めの刑に耐えながら信仰を守り通して殉教した人たちです。
 16人のほとんどがドミニコ会で、司祭が9人、修道士2人、大村のマリナと長崎のマグダレナという女性が2人、信徒が3人でした
 キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡に、明治30年(1897年)9月8日聖母マリア生誕の祝日に献堂式が挙行されました。昭和20年(1945年)の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失しましたが、昭26年10月、その外壁と尖塔をそのまま生かして再建され現在に至っています。

                                          
   中 町 教 会  長崎駅前から歩いて5分のところ、長崎中心部にある白亜の美しい教会。


しかし、また昭和20年の原爆で8500人の信者とともに失われると言う災難にあいました。

現在の天主堂は昭和34年、往時のものと同じロマネスク式で再建されたもので、天主堂に上る道の両側には原爆で焼かれた天使像が並んでいます

1865に大浦天主堂が完成した時、ここ浦上の潜伏キリシタンは大浦に赴き、信仰を打ち明けて信徒発見という歴史的な事件となりましたが、それをきっかけに浦上四番崩れが起こり信徒3400人は流罪となりました。

やがて信仰の自由を得た浦上の信者たちの33年に及ぶ奉仕で大正15年に立派な天主堂が完成しました。

浦上天主堂 (修道院からバスで15分)

 援助マリア会から徒歩で10分のところにある丘です。
十字架山

この地に 1881年、流配から帰ってきた生き残りの信者達によって、十字架が築造されました。

禁教250年もの厳しい弾圧と迫害の中で、信仰を守りぬき、拷問に耐え得たことの感謝と、心ならずも踏み絵を行った信者の罪と、迫害した為政者の罪を許していただくために、カルワリオに似たこの高地に築造しました。
 
十字架の台石は、1メートル角もあり、60名の屈強な男達によって、7日間を費やして頂上まで運び上げられたといいます。当時の信者は競って労働奉仕に当たりました

後に、フランシスコ会によってマリア像がおかれ、「マリアの山」として、浦上巡礼地の一つになっています。

 
聖堂の裏山にはルルドがあり、毎年聖体の祭日にマリアの山での野外ミサのあと聖体行列が行なわれます

 マリアの山(一本木山)

 援助マリア会が属している教会は本原教会です。そこはマリアの山(一本木山)と呼ばれている地で、徳川時代、浦上キリシタン達がひそかに会合して祈りを捧げた場所です。1867年、浦上四番崩れが始まったとき、ロカイン神父はこの山に隠れて信者達に秘蹟を授け、殉教に耐える心の備えをしたといいます。

殉教者のゆかりの地探訪 その1


  援助マリア会が、1974年に長崎、西宮、大分に修道院を創立したとき以来、カトリックセンターでの使徒職を
 担当していました。
 
  設立当時は都会に移動、移住する若年移動信徒の世話、今も続いている結婚する信徒のための結婚講座など事務局
 として担当していました。
 「司牧企画室」が、組織編成されて「教区本部事務局」となり、信徒の集まり、会合などで多くの人が利用して
 います。今は援助マリア会は手を引いていますが、今後も、長崎教区の中核として、各会議、種々行事の担当者や信 徒との連絡などが大切な仕事になるところです。
 

  本原教会での小学生の要理の勉強は、いっせいに行なわれます。
 それぞれの学年に分かれて毎週教会に来て学びます。
 リーダーは、司祭を中心にシスター
3人(2人はマリアの宣教者
 フランシスコ会)、信徒
6人で、協力しながらすすめています。
 どこの教会にとっても、今、信仰の継承が問題になっていますが、
 ここ本原教会でも同じです。
  いかに楽しく信仰を伝えていくか、
 生きた信仰となるようにするか、課題
 として皆で考えています。
 毎月第
2・4土曜日は、全学年が一緒に
 典礼暦に沿った活動をしています。
  
  大浦教会にカテキスタとして派遣されたのが1997年5月、
 以来子供たちの宗教教育に当たっています。

 長崎教区の伝統の中で、黙想会が一学期の終わりに行われます。
 また、教会の窓口である受付、信徒間のコーディネートは教会行事
 の要であり、
大切な仕事です。       

 大勢の信徒を抱えた教会の冠婚葬祭の下準備も欠かせぬ業務です。


 ★中町教会ではカテキスタとして、主に子どもの 信仰教育のために
  奉仕しています。

 1)要理教育(けいこ)について
  @対象
   ・小学生(50名)  クラス編成・・1年、2年、34年、56
   ・中学生(
20名)  中学1・2年・・堅信クラス
  A時間:毎週一回(週日)
 2)日曜学校(みことばの祭儀)
  @対象:小学生1〜6年
  A時間:毎日曜日9時〜(30分) 

未来の教会を担う子どもたちが将来、希望のしるしとなっていくことができるよう信仰の種を大切に育てています。

開かれた修道院
カトリックセンター
本原教会
大浦教会
中町教会
使徒職
援助マリア会聖堂 祈りのひと時
〒852-8123 長崎県
  長崎市三原2-21-25

援助マリア会 
    長崎修道院
   
TEL:095-848-6359 FAX:095-848-6379

          

                        

長崎教区へ創立の動機