ミサを司式された正義平和委員長の司教様は“神様の住まいは私たちの真ん中にある”
(黙示21,3)を主題に次のように説教をされました。

「私たちは今日、この土地のすべての労働者たちの苦しみを分かとうと此処に集まった。50年前、第2ヴァチカン公会議は‘世を巡礼する神の民’が教会だと定義した。
 
現代人の喜び、希望、悲しみ、悩み、苦しみ、人間の歴史のすべての哀歓がまさに神の事であり、キリスト者は現実を避けることができない。私たちの信仰告白がもっと切実に現れるこの時代の現場は、即時、この時代の主人公である民衆が痛んでいるこの所だ。

 今日、経済的両極化による相対的貧困が極大化している。この危機の時期に信仰告白が光を放たなければならない。イエス様と同行するということは苦しんでいる隣人、労働者の痛みを共に抱え込んで生きなさいという叫びだ。これは私たちに大きな挑戦だが、恵みであり、新しいキリスト者として生まれる機会になる。この地に苦しんでいる隣人のそばで見守りながら、はじめてキリストにたいする真実な信仰を告白するようになるであろう。」

ようこそ、韓国富川修道院へ!

「信徒の会」では援助マリア会の基本的
精神に基づき、
必ず聖体礼拝をします。

「信徒の会」会員の皆さん

信徒の会は昼の部(12名)、夕の部(19名)と2つあり、
現在21名の人が所属しています。

「スビラン会」とルーペの(信徒の会)

クリスマスでの受洗者

イグナチオの霊性による黙想指導

日曜学校リーダーとともに

ご復活祭での受洗者

援助マリア会は1985年7月に4人のミッショネール(フランス人1名、日本人3名)によってソウルで始められました。やがて1989年にソウルから西へ1時間のところにある仁川(インチョン)教区の富川(プチョン)市に修道院を建てました。ここは新興都市であり、工場が出来て年々労働者が増えています。それだけに教会の信徒も多く、シスターたちの教会使徒職は重要な場を占めています。属している教会の受洗者は年間50人はあり、信仰教育は最も大切な役目です。シスターたちはともに働く信徒リーダーの養成に励んでいます。

 私たちの祈りが神に達し労働者たちの新しい希望、喜び、救い、解放、幸福、愛が溢れる地が到来し、神の正義の徴と偉大な業績が現れるよう切に祈らなければならない」と。

教会使徒職

霊性センターでの黙想同伴


主な使徒職

・養成の家 (修練院)
      (黙想の家)
・教会使徒職
   Bombagdong教会における
         カテケージスと日曜学校
   
・霊性センターにおける黙想同伴

・スビラン会(信徒の会昼)とルーペ(信徒の会夜)

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近所の方やお寺の尼さんとの交流も大切にしています。
最新
 ミサは韓国各地から集まった90名の司祭団の共同で奉献され、170名の修道者、サンヨンチャ(双龍車)解雇者と家族達、信者など500余名が出席しました。司教は説教で“教会はこの世の正義と平和の道具として、労働者たちの苦しみにいつも同行するでしょうから勇気と希望を失わないこと”を労働者たちに切にお願いし、苦しみにある労働者たちが新しい希望と喜びの日を迎えられることを望むと付け加えられました。

韓国にはキリスト信者が多く、教会活動も大変盛んです。韓国人口の約1/3はキリストを信じる人たちであり、カトリックも人口の10%、500万人の信者がいます。
韓国の教会は宣教者によるよりもむしろ、信徒の手で始められたと言えるでしょう。1800年代の激しい迫害で、50年間も司祭も修道者もいない中で、信徒は自らの手で信仰を守り伝えていきました。そのため、信徒のリーダーはしっかりしており、司祭と修道者とともに教会を築いています。

その他に・・・

「信徒の会」会員の皆さんとシスター達

本会の霊性のひとつイグナチオの霊操を用いて黙想指導を行います。

福者マリーテレーズの祝日は修道院の聖堂でミサをあげ、家族的なお祝いをしました。、

毎年シスター達の聖書研究に預かった方が大勢洗礼を受けられます。


富川共同体の私たち4名は、メーデーの日を記念して、ソウルの
フランシスコ会館で催されたミサに参列しました。
2013年4月29日

 ミサの後サンヨン車の犠牲者たちの焼香所があるトクスグン(徳竜宮)の前までロザリオの祈りをしながら行進しました。サンヨン自動車の整理解雇によって、2009年から今まで2060名が解雇者され、その中から24名が自殺しましたが、彼らの霊魂を慰める為毎日焼香所の前でミサが捧げられています。

 現在韓国で非正規の労働者は800万名に達します。正義平和委員会は労働問題の解決を追求する声明を発表しつつ、解雇労働者と家族を助ける為の募金活動を広げています。

 「労働する人たちの尊厳性と権利を闡明にすることは、神から分け与えられた教会の重大な責務であるので、民衆の痛みを避けることは神の命令を棄てることだ。

数多い労働者たちが崖の淵から、希望の明日を見ることが出来るようにしてくれと断食しながら涙で私たちに訴えている。彼らの訴えはより良い世をつくろうとの希望の歌であり
、私たちの無関心で安楽な生を反省させる真面目な招待であり、峻厳な警告だ。